お客様の旅日記
第4回:遠く忘れ去った日本の故郷のような国・ミャンマー
M.Y様
期間 2013年4月21日~4月30日 10日間 訪問地 マンダレー・ミングオン・サガイン・モンユワ・パガン・ヤンゴン 同行者 妻(地区ごとにガイドさん・運転手さんをお願いしました) |
|
◆密林の国?砂漠の国? |
|
作物も草もない砂漠のような、乾燥期の畑 |
背中に瘤のある作業中の立派な牛 |
|
|
ホッパ山の溶岩ドームの上にあるタウン・カラット。手前に火炎樹 | スーレー・パヤー |
パガンの遺跡群 | ヤンゴン・シェダゴン・パヤー |
パガン・アーナンダ寺院 | パガン・シュエジーゴン・パヤー |
◆これが仏様なの? 1)信仰の対象はパゴダ(釈迦の髪や骨・爪を納める)とその周囲に収めた仏像です。仏像の前に多くの人たちが座って御経を熱心に唱えている。おもしろいのは、その傍で横になって暑さをしのいでいる人もいます。 2)ミャンマーの仏像は、金ピカで重要なものは、金泊でおおわれています。白い肌の仏像も多いが、それらは、目はくっきりと大きく、まつ毛も長いふっくらとした美人タイプです。仏様の光背にはネオンが取り付けられ、仏様の御顔から七色の光が発せられています。日本の仏様には考えられないことです。停電の時、仏様は法力を失なうんでしょうか。 3)涅槃仏(寝釈迦)も多く、各所で参拝することができました。大きな仏像は、100mをはるかにこえます。日本では見たことはありませんが、なぜ寝ているのでしょうか。暑い時は横になるという、熱帯の人たちの習慣かと日本に帰ってから思いついたのですが、いかがでしょうか。寝ているお釈迦さまに、つい親しみを感じ自然と手を合わせました。 4)なぜか鎌倉の大仏様が皆さんに有名でした。また、その写真が各所のお寺にも展示さていました。ちなみに奈良の大仏様は全く無名で、その写真もみかけませんでした。不思議ですね。 |
|
とても暑いので、大きな仏像を一人占め(全長111m) |
|
お釈迦様に金箔を貼る。なお、このスペースは女人禁制 | 光背がネオンに輝くお釈迦様 |
全長70mの寝仏、多くの人がお祈りを捧げている | マントを着た仏様 |
ホッパ山の神様達 | ポーウイン山の仏様と |
◆これほどに信仰の深い国があるでしょうか 1)国民の信仰は厚く、ガイドさん達は皆、御坊さんになった経験がある。そして、時間があれば、また御坊さんに戻りたいという。 2)信仰の原点は、輪廻転生の世界から涅槃の世界へと生れ変わり、永遠の安寧を得ることにあり、日本の仏教にある祖先崇拝はないもよう。ちなみに、御墓や、祖先をまつる仏壇はなく、家庭には、釈迦像を祭ります。(訪れた新婚カップルの家では唯一の家具(?)といえるものが写真の仏像と花を飾る台でした。) 3)お寺に行く時は線香ではなく、お花を持っていく。路方の多くの場所に花やさんがあるが、これは、あくまでも御釈迦様のためのもので、部屋を飾るものではありません。 4)貧しいにも関わらず、民衆が寄進する金額は、とても多く収入の30%にものぼるそうだ。 5)十二支信仰が東アジアにあるが、ミャンマーには、8曜日信仰があるという。曜日が一日多いのは、水曜日が午前と午後に分かれるからだそうです。それぞれの曜日に聖なる動物がいて、ちなみに、妻はライオン(火曜日)で、私は地中を這いまわる可哀そうな、モグラ(金曜日)です。私たちは、祈りの正しい作法をお坊様に教えていただき、それぞれの神様にお願いごとをしました。 |
|
写真上:僧院での食事準備風景 写真左:托鉢に行く小僧さん |
|
お祈りをする敬虔な仏教徒 | モグラとその神様にお祈りをする |
◆やさしくて親しみのある国民性 1)「アーロン収容所(会田雄二)」という本に、最も日本人に体、顔が似ている民族はビルマ(ミャンマー)族であり、また性格が似ているのもそうであると書かれています。高校生の時に担任の先生から勧められたこの本を何度か読み、ずっとミャンマーを訪問したいと思っていましたが、やはり、期待したとおり日本人に良く似た国民でした。ただ、現代の日本人は少し方向を変えてしまい、心や生活が西洋風に変わってしまったような気がします。 2)優しくて、シャイで、笑顔をたたえた民族、そして仏様と家族を大事にする民族。これほど日本人と心が通う民族は他には無いのではないかと思う。こんなミャンマー人を日本人は大好きであるが、幸いなことに、これは、日本人の片思いではなく、ありがたいことにミャンマーの人たちも同様に思ってくださっているように今回の旅全体をとおして思えました。 3)彼らは、ミャンマーには悪人はいないという。確かに地方のお寺では、たくさんのお札が、無造作にザルの上にのせられて、御釈迦様に寄進されている。監視する人がいないのだ。 ◆貧しくても幸福であるということ 1)一般的に国民はとても貧しい。特に田舎の人たちの生活は、今の日本人には、まずできないであろう。電気はない、水は川から人力で運んでくる原始の生活である。 2)しかし、衣服は着替え1枚さえあればよい、果物は付近に豊富にある、作物も不自由しない、心は、御釈迦様の言葉に満たされ、それを信じている。 3)だから、訪れた家の人たちは、貧しくても幸せそうで、笑顔で迎えてくれました。貧しいという感覚さえないのではないかと思ってしまう。(以前訪れたインドの下層の人たちは、非常に貧しく、私は友達にはなれなかった。それどころか、私は彼らから拒否されているように思えた) 4)彼らは、「幸せは決してお金では買えないよ」と教えてくれているようであった。そして、これが、仏陀の教えでもあるかのように思えた。 |
|
村の風景。メインストリートの舗装はあまり良くない | 村の花売り娘。中央の女の子のほっぺたに、葉っぱの形のタナカ |
◆地方の民家はこんな建物でした |
|
写真左上:若いカップル宅の全景。高床式 屋根、壁の竹材が美しい 写真右上:家の内部と若い母親。蚊帳がみられる。隙間風がとおる 写真左:母親の化粧道具。台の上に顔に塗るタナカの材料がある 写真下:右端にトイレ |
|
|
|
田舎の道路風景 |
車のパーツ屋さん このような店が数十件並んでいた |
◆慰霊碑に涙 1)ミャンマーでは、19万人もの日本人将兵が亡くなっている。このため、多くの慰霊場があるが、そのうち2か所の、慰霊塔、慰霊碑に参拝することができた。インパール作戦など無謀な戦いに若い命を失った若い将兵を偲んでいると、涙が流れてきた。 2)戦友たちがすでに高齢になっており、これらの慰霊碑の管理は今後どうなるのであろうかと心配になった。 |
|
日本人将兵慰霊塔 |
日本人将兵慰霊碑。戦いに散った他国の人たちの慰霊碑も並んで祭られていました。 |
◆ホテルの様子 | |
マンダレーのホテルの様子 1年に2倍も宿泊費上昇 |
1)ヤンゴンのホテルは良かったがその他はあまりいただけなかった。これから発展する国にきたのだから、観光者である我々は多少我慢も必要でしょう。 2)しかし、1日に何度も停電するのは問題である。スーチーさんが、日本に来て嵐山の小規模発電所を見学した理由が良くわかる。でも、コンピューターで仕事中の停電はさぞ困ることでしょうね。 3)ホテル従業員は、皆さん親切・笑顔で好ましかった。 |
◆甘いマンゴとおいしい食事に満足 1)スーパーマーケットが無い代わりに市場がとても盛んで、野菜屋さん、果物屋さん、屋台などが入り乱れて並んでいました。 2)これからがマンゴの季節です。日本では高くて買えないマンゴを市場で、たくさん買い、ホテルで冷やして、むしゃぶりついた。(1個50円) パパイア・バナナ・パイナップル等も多かった。ドリアンは大変臭うので、ホテルに持ち帰ることはできないということで、路上で食べたが私も妻も口にあわない。周囲に居あわせたオバチャンが脇から手を出して食べ、残りはガイドさんが家に持ち帰った。(1個400円) 3)屋台での食事がごく一般的のようであるが、埃やハエで、日本人には適さないであろう。でも一度はトライすべきだったかも。 4)ミャンマー料理の特徴は、ピーナッツ油の多いカレー風味料理ということで、口にあうか心配していたが、日本人の好みにはあうようだ。ただ私たちが行ったレストランは外人用で、油の量は調整して少なくしているとのこと。飲み物とも一食500円程度で食べられます。 5)ガイドさんのお姉さんが経営する喫茶店(と彼らは言う)で食べたモヒンガー(スパイシーな素麺)はおいしく、100円でした。 |
|
写真左上:ミャンマー料理の品々、サーブするウエイトレスの多さにビックリ |
|
市場の魚屋さん |
露天でドリアン販売 |
◆出会った人々
この人のサービスは満点でした。我々が政府高官であるかのような、車の乗降の際の 手助け、足の清掃用のウエットティシューのサービス、適時の冷たい水の提供、観光から我々が戻るのを見て、瞬時に配車などサービス精神にあふれていました。そして、彼の友人の結婚式への参加まで私たちに経験させてくれました。 4)シュエダゴンパゴダで会ったお坊さん 昼間に訪れたシュエダゴンパゴダは壮観であったが、ライトアップされた夜のシュエダゴンパゴダも見たくて、再訪した。黄金のパゴダが真っ黒な闇に浮かびあがりとてもきれいでした。日曜日であったせいか、昼間よりも多くの信者であふれていて、熱心にお祈りをしたり、涼しい夜を楽しんでいるようでした。 すると40代と思われる御坊さんに日本語で話しかけられた。彼は近郊の御坊さんで、しばしば、ここにお祈りにくるとのことであった。それから彼が得意な英語で2時間も我々のガイドをし、お寺の生活の話などをしてくださった。 パゴダの天辺にある大きないくつもの宝石、それらが照明によってさまざまな色に輝くのですが、それは見る人の立つ位置が15cmほど変わるともう見えないのです。そのような場所を何か所も教えてくれました。御坊さんは、何度もここに来て、手をあわせて、参拝しているうちにその場所をみつけたそうです。 3歳で寺に入り、厳しい修行をし、睡眠は毎日2.5時間だそうです。あまりにも短いので、聞き返したので間違いありません。英語はお布施を集めてそのお金で学校に行き学んだそうです。今度は3カ月の日本語集中講習をうけるべく、準備中だそうです。最後にその御坊さんにわずかなお布施をしましたら、御経を唱えながら、受け取ってくださいました。 |
|
写真左:たくさんの仏様の前で長時間説教をしてくださった御坊様 | |
◆一度の旅行で、結婚式と葬式に出席 1)運転手さんの友達の結婚式に急遽出席しました。見知らぬ外国人の出席にもかかわらず新郎新婦は笑顔で迎えてくださいました。結婚式は300人も出席するとのことで、朝早くからお昼頃まで、お客は交代で祝うということです。プロのバンドも入ったホテル結婚式はとても贅沢とのことです。私たちは大変高価と聞いたアイスクリームパフェ(?)をご馳走になりました。私たち夫婦は、逆にカメラやビデオを向けられ映画スターになったようでした。 2)朝6時前より、へたな歌、ピアノそしてイスラム教のアザーンのような大音量の騒音が聞こえてきて目がさめてしまいました。ホテルの窓から覗いていると、群衆が動きだしたので、外に見学に出ると数百人の人が大きな山車をひき、その山車には大きな船が乗り、着飾った女性たち数十名がその船上で櫂を漕ぐ仕草をしていました。何かのお祭りと思って後でガイドさんに聞くと、それは高僧のお葬式ということでした。どうりで、華やかであっても参加者に笑顔は見受けられませんでした。 |
|
ドライバーの友人の結婚式に出席させていただきました |
マンダレーの高僧の葬式(中央の上部に写真がみられる) |
◆ミャンマーへの大規模団体旅行がない理由 3)ホテルの数、グレードもまだ日本人団体ツアーには不適等と思われます。 |
|
鋳造した仏像のバリ取りをする男の子 |
糸を紡ぐ女の子。昔、近所のお婆さんが縁側でしていました。 |
インワの観光馬車。この時期1日に1回でもこの仕事が出来れば良いとのこと |
刺繍の共同作業 |
◆おわりに おわり
|