創業者 松永充弘が語る 始まり~今~未来
カンパニーストーリー
設立の動機
背景にあるのは日本人のアジア太平洋戦争の歴史観
「なんとかせにゃいかん!」と思ってたんですよ。
設立当時の1988年はちょうどバブル期の「海外旅行ブーム」真っ最中でした。もちろんアジア各国との経済格差は大変なものでした。そこへ日本人客が大挙して行って観光や買い物(果ては買春まで)が行われていたんです。もちろん観光客が落としたお金により現地の一部の人達の生活は潤ったでしょうが、戦争で痛手を負い、まだそれを拭いきれていない状況の中、私たち日本人はアジアの国の人から更なる怒りや反感を買ったのでは、という危機感を覚えました。
翻って日本はどうだったかというと、学校の歴史教科書から日本軍の侵略性や虐殺の歴史を削除するという政府の動きが問題化していた頃でした。これから日本を担っていく若い世代が、アジアの人々が多大な犠牲を払った戦争の歴史を殆ど何も知らないまま現地へと出かけて行くのでは、とこれにもまた危うさを感じました。その2つの危機感が設立を決めた最大の動機です。
社名の由来
旅をとおしての平和、平和のための旅
旅を通して日本と世界、特にかつて日本が戦禍に巻き込んだアジアの国々との相互理解や交流を通じて、平和な関係づくりに貢献できるような旅を作りたいという思いからこの社名をつけました。「ツアーをつうじての平和、平和のためのツアー」という意味です。
これからの展望と希望
今再び原点に帰ろう
アジア、それもインドシナと地域を限定してきましたが、これからはそれでは不十分だと感じています。更にテーマ、目的を絞り込む「目的特化」の道へ進もうと考えています。もっとも主力とする目的は会社の原点である「学びのツアー」です。添乗に行ったスタッフ話ですと、スタディツアーなどに行かれたお客様たちから、「一生忘れない」という言葉をよく聞くらしいのです。またその話をするスタッフの顔は、通常の業務ではみせたことのないような輝いている笑顔なんです。それを見るにつき、やはり今また原点に戻ってやっていこう!と思ったわけです。
インドシナとのかかわり
13歳の脳裏に焼き付いた「サイゴン陥落」
インドシナに関心をもったきっかけは沖縄を始めとして日本が戦争の後方支援基地として機能した「ベトナム戦争」の歴史にあります。1975年のサイゴン陥落のニュースはなぜか当時まだ中学1年生だった私の脳裏に焼きつきました。そしてその後、大学時代にアジアの歴史検証と民間交流の旅をするピースボートの活動の中で、ベトナムやカンボジアの地を初めて踏みましたが、驚き感動することばかりでした。なぜなら、悲惨な戦争 傷跡を抱えながらもみんな明るく活気に満ち溢れていたからです。またその時期の同世代の若者と友人になれたこともかかわりの始まりですね。
会社の使命
ビジネスを通じての貢献
ベトナムはアジアの中で中国に次ぐ進出先として様々な国の起業が熱い支線を注いでいます。しかし社会的にはいまだに大きな困難と問題を抱えています。
私たちはそこに現地法人や現地オフィスなどの拠点を構え、「旅行業」というビジネスを通じて現地の経済発展に少しでも貢献する、というのが会社のミッションの1つです。また、このビジネスを通じて、お客様や行った国の人々たちに幸せを味わってほしい。それがひいては私の原点としてきた平和の道筋になるのではないか、とほのかな期待も抱いています